行持 上(11)

趙州(ジョウシュウ)の趙州に住(ジュウ)することは、八旬(ハチジュン)よりのちなり、伝法よりこのかたなり。正法正伝(ショウボウ ショウデン)せり。諸人これを古仏(コブツ)といふ。

趙州従諗和尚が趙州の観音院に住したのは、八十歳以後であり、南泉普願禅師の法を受け継いでからのことです。彼は仏祖の正法を正しく伝えた人です。そこで人々は、彼を古仏と呼んで讃えました。

いまだ正法正伝せざらん余人(ヨニン)は、師よりもかろかるべし。いまだ八旬にいたらざらん余人は、師よりも強健(ゴウケン)なるべし。

まだ仏祖の正法を受け継いでいない他の人は、師よりも立場が軽いことでしょう。まだ八十歳にならない他の人は、師よりも身体が強健なことでしょう。

壮年にして軽爾(キョウニ)ならんわれら、なんぞ老年の崇重(スウチョウ)なるとひとしからん、はげみて辨道行持(ベンドウ ギョウジ)すべきなり。

壮年で軽い立場の人が、どうして老年で尊く重い師と等しいものでしょうか。我々は、励んで行持に精進するべきなのです。

四十年のあひだ、世財をたくはへず、常住(ジョウジュウ)に米穀(ベイコク)なし。あるいは栗子(リス)、椎子(スイス)をひろうて食物(ジキモツ)にあつ、あるいは旋転飯食(センデン ボンジキ)す。

師は四十年の間、世の財を畜えることがなかったので、道場には米もありませんでした。そこで栗や椎の実を拾い集めて食料としたり、僧が交替で食事を取ったりしました。

まことに上古龍象(ジョウコ リュウゾウ)の家風なり、恋慕すべき操行(ソウギョウ)なり。

実にこれは、昔の優れた修行者の家風であり、慕うべき行いです。

あるとき、衆(シュ)にしめしていはく、「你(ナンジ)若し一生 叢林(ソウリン)を離れず、不語(フゴ)なること十年五載(ゴサイ)すとも、人の你を喚(ヨ)んで唖漢(アカン)と作すことなからん。已後(イゴ)には諸仏もまた你を奈何(イカン)ともせじ。」

師はある時、修行僧たちに教えて言いました。「お前たちが、もし一生道場を離れず、無言で五年十年と坐禅をしても、誰もお前たちのことを唖とは言わないであろう。そして後には諸仏でさえも、お前たちをどうすることも出来ないであろう。」 と。

これ行持をしめすなり。しるべし、十年五載の不語、おろかなるに相似(ソウジ)せりといへども、不離叢林(フリ ソウリン)の功夫(クフウ)によりて、不語なりといへども唖漢にあらざらん。

これは行持について教えているのです。知ることです、五年十年の無言の坐禅は愚かなようですが、道場を離れない修行精進によって、無言であっても唖ではないのです。

仏道かくのごとし。仏道声(ブツドウショウ)をきかざらんは、不語の不唖漢なる道理あるべからず。

仏道とはそのようなものです。ですから、仏の説法を聞かない者には、無言の唖ではない人という道理はないのです。

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