行持 上(22)

この天童山(テンドウザン)は、もとは小院なり。覚和尚(カク オショウ)の住裏(ジュウリ)に、道士観(ドウシカン)、尼寺(ニジ)、教院(キョウイン)等を掃除(ソウジョ)して、いまの景徳寺(ケイトクジ)となせり。

この天童山は、もとは小さな寺院でした。それを正覚和尚が住持している間に、道教の寺院や尼寺、教院などを取り除いて、今の景徳寺にしたのです。

師 遷化(センゲ)ののち、左朝奉大夫(サチョウブダイフ)侍御史(ジギョシ)王伯庠(オウハクショウ)、ちなみに師の行業記(ギョウゴウキ)を記するに、ある人いはく、「かの道士観、尼寺、教寺をうばひて、いまの天童寺となせることを記すべし。」

正覚和尚が亡くなった後、左朝奉大夫 侍御史の王伯庠が、ゆかりで師の伝記を記した時に、ある人が言うには、「師は、あの道教の寺や尼寺、教院を奪い取って、今の天童寺(景徳寺)にしたことを書いてください。」と。

御史いはく、「不可なり、此の事、僧の徳に非ず。」ときの人、おほく侍御史をほむ。しるべし、かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず。

侍御史はそれに答えて、「それはいけない。このことは、僧の徳行ではない。」と言いました。そこで当時の人の多くが侍御史を褒めました。知ることです、このようなことは、俗人の能力であって、僧の徳行ではないのです。

おほよそ仏道に登入(トウニュウ)する最初より、はるかに三界(サンガイ)の人天(ニンデン)をこゆるなり。三界の所使(ショシ)にあらず、三界の所見(ショケン)にあらざること、審細(シンサイ)に咨問(シモン)すべし。

およそ僧は、仏道に入る最初から、遙かに世間の人々を越えているのです。僧は世間に使われるものではなく、世間に見られるものではないことを、詳しく尋ねなさい。

身口意(シンクイ)および依正(エショウ)をきたして、功夫参究(クフウ サンガク)すべし。

身の振る舞い、話す言葉、心に思うこと、そして自分の身体と環境のすべてを使って修行に精進しなさい。

仏祖行持の功徳、もとより人天を済度(サイド)する巨益(コヤク)ありとも、人天さらに仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり。

仏祖の行持の功徳には、もともと人間界天上界の人々を済度する大きな利益があるのですが、人間界天上界の人々は、少しも仏祖の行持に助けられているとは自覚しないのです。

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