受戒(2)

西天東地(サイテン トウチ)、仏祖正伝(ブッソ ショウデン)しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざれば、いまだ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫にあらざるなり。離過防非(リカ ボウヒ)を参禅問道(サンゼン モンドウ)とせるがゆゑなり。

インドや中国など仏祖が仏法を正しく相伝して来たところでは、必ず仏法に入門する最初に受戒があります。戒を受けなければ諸仏の弟子ではなく、祖師の児孫でもありません。過ちを離れ非を防ぐことが、禅を学び仏道を学ぶことであるからです。

戒律爲先(カイリツ イセン)の言、すでにまさしく正法眼蔵なり。成仏作祖(ジョウブツ サソ)、かならず正法眼蔵を伝持(デンジ)するによりて、正法眼蔵を正伝(ショウデン)する祖師、かならず仏戒を受持するなり。仏戒を受持せざる仏祖、あるべからざるなり。

禅苑清規の「先ず戒律を守ること」という言葉は、まさしく正法眼蔵(仏法の真髄)なのです。仏となり祖師となる者は、必ず正法眼蔵を相伝し護持するので、正法眼蔵を正しく相伝している祖師は、必ず仏の戒を受けて護持しているのです。仏戒を護持していない仏祖は、ありえないのです。

あるいは如来にしたがひたてまつりてこれを受持し、あるいは仏弟子にしたがひてこれを受持す。みなこれ命脈稟受(メイミャク ボンジュ)せるところなり。

ある人は釈尊に従ってこの仏戒を受けて護持し、またある人は釈尊の弟子に従って仏戒を受けて護持しました。このようにして、皆仏道の命脈を受けて相承したのです。

いま仏仏祖祖 正伝するところの仏戒、ただ嵩嶽曩祖(スウガク ノウソ)まさしく伝来し、震旦(シンタン)五伝して曹谿高祖(ソウケイ コウソ)にいたれり。青原(セイゲン)南嶽(ナンガク)等の正伝、いまにつたはれりといへども、杜撰(ズザン)の長老等、かつてしらざるもあり。もともあはれむべし。

現在、仏や祖師方が正しく相伝するところの仏戒は、ただ嵩山の達磨大師一人によって伝来されたものであり、その後、中国で五代を経て曹谿の慧能禅師に至り、そして青原の行思禅師や南嶽の懐譲禅師などが受け継いで今に伝えられているのですが、真実の仏法を知らぬ長老などは、このことをまったく知らない者もいます。本当に哀れなことです。 

受戒(1)へ戻る

受戒(3)へ進む

ホームへ