帰依三宝(12)

(きえ さんぼう)

未曾有経(ミゾウウキョウ)に云(イハ)く、
「仏 言
(ノタマ)はく、過去 無数劫(ムシュコウ)の時を憶念(オクネン)するに、毗摩大国(ビマタイコク)徙陀山(シダセン)の中に、一の野干(ヤカン)あり。而(シカ)も師子(シシ)の為に逐(オ)はれて、食(ク)はれなんとす。

未曾有経には次のように説かれている。
「仏(釈尊)は言われた、遥か遠い昔、毗摩大国の徙陀山の山中に一匹の狐がいた。ある日、その狐は獅子(ライオン)に追われて食われそうになった。

奔走(ホンソウ)して井に堕(オ)ち、出づること得る能(アタ)はず。三日を経(ヘ)るに開心(カイシン)して死を分(ワキマ)へ、而も偈(ゲ)を説いて言(イ)はく、

彼は逃げ回って井戸に落ち、出られなくなった。そうして三日がたち、彼は死を覚悟して次のような詩句を唱えた。

「禍(ワザワ)ひなる哉(カナ)、今日 苦に逼(セマ)られて、便(スナハ)ち当(マサ)に命を丘井(キュウセイ)に没(モッ)せんとす。一切万物 皆 無常なり、恨(ウラ)むらくは身を以て師子に飴(ク)らはさざりしことを。南無帰依十方仏、我が心 浄にして己(オノ)れ無きことを表知(ヒョウチ)したまへ。」

「なんという災難であろうか。私は今日にも苦しんで、井戸の中で命を落とすことであろう。この世のすべてのものは皆無常である。今になって残念に思うことは、この身を飢えた獅子に施して食わせなかったことである。私は心からすべての仏たちに帰依いたします。どうか私の心に汚れなく私心のないことをお察しください。」と。

時に天帝釈(テンタイシャク)、仏の名(ミナ)を聞いて粛然(シュクゼン)として毛 豎(タ)ち、古仏(コブツ)を念(オモ)ふ。自(ミズカ)ら惟(オモ)ふらく、「孤露(コロ)にして導師無く、五欲に耽著(タンジャク)して自ら沈没(チンモツ)す。」と。

その時に帝釈天は、仏の名を称える声を聞いて粛然として毛が立ち、いにしえの仏たちのことを思った。そして自らを省みて、「私は孤独で導いてくれる師も無く、様々な欲に引かれて自ら欲に溺れている。」と思った。

即ち諸天八万衆と与(トモ)に、飛下(ヒゲ)して井に詣(イタ)り、問詰(モンキツ)せんと欲(オモ)ふ。乃(スナハ)ち野干の井底(セイテイ)に在りて、両手もて土を攀(ヨ)づれども出づること得ざるを見る。

そこで八万の様々な天神たちと共に、下界に飛び下りて井戸に行き、声の主に教えを問いただそうとした。すると狐が井戸の底にいて、両手で土を攀じ上ろうとしても出られない様を見た。

天帝、復(マタ)自ら思念して言はく、
「聖人
(ショウニン)(マサ)に方術(ホウジュツ)無からんと念(オモ)ふべし。我今 野干の形を見ると雖(イヘド)も、斯(コ)れ必ず菩薩にして凡器(ボンキ)に非ざらん。仁者(ニンジャ)向説(コウセツ)するは凡言(ボンゴン)に非ず、願はくは諸天の為に法要を説きたまへ。」

そこで帝釈天はまた次のように考えた。
「この聖人は、おそらく井戸を抜け出す方法は無いと観念しているのであろう。私は今、狐の姿を見ているが、これはきっと菩薩であり、凡庸な器量の持ち主ではない。」と。 そこで彼に呼び掛けた。「あなたの先ほどの言葉は凡人の言葉ではありません、どうか我等多くの天神のために仏法の要旨を説いてください。」と。

時に野干、仰いで答へて曰(イ)く、
「汝、天帝として教訓無し、法師
(ホッシ)は下に在りて自らは上に処(オ)る、都(スベ)て敬を修(シュ)せずして法要を問う。法水清浄(ホッスイ ショウジョウ)にして能(ヨ)く人を済(スク)ふ、云何(イカン)が自ら貢高(コウコウ)なることを得んと欲(オモ)ふや。」

その時に狐は井戸の底から仰いで答えた。
「あなたは帝釈天でありながら教養が身についていません。何故なら法を説く師が下に居り、あなた自身は上にいて、師に対してまったく敬意なく法を尋ねているからです。仏法の甘露の水は清浄でよく人々を救うものです。あなたはどうして自ら尊大に構えたがるのですか。」と。

天帝、是を聞いて大いに慚愧(ザンギ)す。給侍(キュウジ)の諸天 愕然(ガクゼン)として笑ふ、「天王 降趾(コウシ)すれども大いに利無し。」と。

帝釈天は彼の言葉を聞いて深く自らを恥じた。それを聞いたお供の天神たちは驚いて笑って言った。「はるばる天界の王が天から降りてやって来たが、大して利益はなかった。」と。

天帝、即時に諸天に告ぐ、
「慎んで此れを以て驚怖を懐くこと勿
(ナカ)れ、是我 頑蔽(ガンペイ)にして徳 称(カナ)はず、必ず当に是に因って法要を聞くべし。」

帝釈天は、そこで諸々の天神たちに告げた。
「天神たちよ、決してこのようなことで驚いてはいけない。これは私が愚かで徳が無いからである。必ず彼から法を聞かねばならない。」と。

即ち為に天の宝衣(ホウエ)を垂下(スイゲ)して、野干を接取(セッシュ)して上に出だす。諸天 為に甘露(カンロ)の食(ジキ)を設(モウ)け、野干 食することを得て活望(カツモウ)を生ず。

そこで、狐のために宝玉をちりばめた天衣を下げ降ろし、狐を引き上げて井戸の上に出した。そして天神たちは狐のために御馳走を設け、狐は食べることによって元気を取り戻した。

(オモ)はざりき、禍中(カチュウ)に斯(コ)の福を致さんとは。心に踴躍(ユヤク)を懐きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の為に、広く法要を説く。

狐は災難の中でこのような福が得られるとは思いもしなかったので、心は勇躍し喜びは無量であった。
そこで狐は、帝釈天や多くの天神たちのために、様々に仏法を説いたのである。」と。

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