三時業(11)

この五無間業(ゴムゲンゴウ)を、なにによりて無間業(ムゲンゴウ)となづく。そのゆゑ五あり。
一には、果に趣くこと無間なるが故に、無間と名づく。此の身を捨て已りて、次の身に即ち受くるが故に、無間と名づく。

この五無間業(無間地獄に堕ちる五つの罪業)を、なぜ無間業と言うのかといえば、それには五つの理由があります。
一には、果へ間無しに赴くので無間という。今生の身を捨ててから、次生の身に直ちに果を受けるので無間というのです。

二には、苦を受くること無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄(アビゴク)に生まれて、一劫(イッコウ)の中に受苦相続して、楽間有ること無し。因って果に従いて称して無間業と名づく。

二には、苦を絶え間なく受けるので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれ、一劫という長期間 苦を受け続けて楽な時がない。このような果を受けることから無間業というのです。

三には、時量無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生まれて、決定して一劫時不断なるが故に、故に無間と名づく。

三には、時に限りが無いので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれて、必ず一劫という長期間 終わることがないので無間というのです。

四には、寿命無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生まれて、一劫の中に寿命絶ゆること無し。因って果に従いて称名(ナヅケ)て無間となす。

四には、寿命に終りがないので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれて、一劫という長期間 寿命は絶えることがない。このような果を受けることから無間というのです。

五には、身形(シンギョウ)無間なるが故に、無間と名づく。五逆の罪は阿鼻獄に生まる。阿鼻地獄は、縦広(タテヨコ)八万四千由旬(ユジュン)、一人中に入るも身亦遍満し、一切人入るも身亦遍満して、相 障礙(ショウゲ)せず。因って果に従いて号名(ナヅケ)て無間と曰ふ。

五には、身体に隙間が無いので無間という。五逆の罪を犯せば阿鼻地獄に生まれる。阿鼻地獄は、縦横八万四千由旬(由旬はインドの里程。くびきを牛に付けて一日に旅行しうる距離)といわれ、一人中に入っても身体がいっぱいになり、全ての人が入っても身体がいっぱいになって、互いに妨げ合うことが無い。このような果を受けることから無間というのです。

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