四禅比丘(6)

(しぜんびく)

  第三には、命終(ミョウジュウ)の時、おほきなるあやまりあり。そのとがふかくして、つひに阿鼻地獄(アビ ジゴク)におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四禅を四果とおもひきたれりとも、臨命終(リン ミョウジュウ)のとき、四禅の中陰(チュウイン)みゆることあらば、一生のあやまりを懺悔(サンゲ)して、四果にはあらざりきとおもふべし。

  第三に、無聞比丘(教えを聞かない比丘)は、命の終る時に仏を謗るという大きな誤りを犯しました。その咎が深いので、遂に阿鼻地獄(無間地獄)に堕ちたのです。この比丘に私は言おう、「たとえお前が一生の間、四禅(第四の禅定)を得たことで四果(第四の聖果)の阿羅漢(一切の煩悩を滅ぼした聖者)を得たと思っていたとしても、臨終の時に、涅槃に入らずに四禅天に生まれる中陰(死んでから新たに生まれるまでの期間)が見えたならば、その一生の誤りを懺悔して、自分は四果の阿羅漢ではなかったと思わなければいけない。」と。

いかでか仏われを欺誑(ゴオウ)して、涅槃(ネハン)なきに涅槃ありと施説(セセツ)せさせたまふとおもふべき。これ無聞(ムモン)のとがなり、このつみすでに謗仏(ボウブツ)なり。これによりて、阿鼻の中陰現じて、命終して阿鼻地獄におちぬ。

このことに気付けば、どうして「仏は私を欺いて、涅槃は無いのに涅槃があると説かれた。」などと思うことが出来ましょうか。これは教えを聞かないことによる咎であり、この罪はまさしく仏を謗る罪なのです。これによって阿鼻地獄の中陰が現れて、命が終わると阿鼻地獄に堕ちたのです。

たとひ四果の聖者(ショウジャ)なりとも、いかでか如来(ニョライ)におよばん。舎利弗(シャリホツ)はひさしくこれ四果の聖者なり。三千大千世界所有の智慧をあつめて、如来をのぞきたてまつりて、ほかを一分とし、舎利弗の智慧を十六分にせる一分と、三千大千世界所有の智慧とを格量(カクリョウ)するに、舎利弗の十六分の一分におよばざるなり。

たとえこの比丘が四果(阿羅漢)の聖者であったとしても、どうして仏と肩を並べられましょう。舎利弗は久しく四果の聖者であり、その智慧は、全宇宙の智慧を集めても、仏を除いて、舎利弗の智慧の十六分の一にも及ばない勝れたものでした。

しかあれども、如来未曽説(ニョライ ミゾウセツ)の法をときましますをききて、前後の仏説ことにして、われを欺誑しましますとおもはず、波旬無此事(ハジュン ムシジ)とほめたてまつる。

その舎利弗でも、仏がこれまでに説かれなかった教えを説かれるのを聞いて、「前の教えと後の教えが違っていて、仏は私を欺かれた。」とは思わずに、「天魔には、このようなことは無い。」と言って仏を褒め称えたのです。

如来は福増(フクゾウ)をわたし、舎利弗は福増をわたさず。四果と仏果と、はるかにことなることかくのごとし。たとひ舎利弗およびもろもろの弟子のごとくならん、十方界にみちみてらん、ともに仏智を測量(シキリョウ)せんことうべからず。

そして釈尊は百二十歳の福増を出家させて救済しましたが、舎利弗は高齢の福増を救済しませんでした。四果の舎利弗と仏果の釈尊とでは、このように力量が遥かに異なるのです。たとえ舎利弗や多くの仏弟子のような勝れた人たちが全世界に満ちて、共に仏の智慧を推し量ろうとしても不可能なのです。

孔老(コウロウ)にかくのごとくの功徳(クドク)いまだなし。仏法を習学せんもの、たれか孔老を測度(シキタク)せざらん。孔老を習学するもの、仏法を測量することいまだなし。いま大宋国(ダイソウゴク)のともがら、おほく孔老と仏道と一致の道理をたつ、僻見(ヘキケン)もともふかきものなり。しもにまさに広説(コウセツ)すべし。

中国の聖人と言われる孔子や老子に、このような功徳はまだありません。仏法を学んでいる者であれば、誰であれ孔子老子のことを推し量ることが出来るでしょうが、孔子老子を学ぶ者で、仏法を推し量ることが出来た人はまだいないのです。それなのに、今の大宋国の出家者は、その多くが孔子老子の道と仏道とは同じであると言っています。これは大きな僻見と言うべきものです。以下にその理由を詳しく説明しましょう。

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