出家功徳(7)

世尊 言(ノタマワ)く、「南洲(ナンシュウ)に四種の最勝有り。一に見仏(ケンブツ)、二に聞法(モンポウ)、三に出家、四に得道(トクドウ)。」

釈尊が言われるには、「この須弥山南方の世界には、四つの優れた事がある。一つには、仏にまみえることが出来る。二つには、仏の教えを聞くことが出来る。三つには、仏に従って出家することが出来る。四つには、仏の道を悟ることが出来る。」と。

あきらかにしるべし、この四種最勝、すなはち北洲(ホクシュウ)にもすぐれ、諸天にもすぐれたり。いまわれら宿善根力(シュクゼンゴンリキ)にひかれて、最勝の身をえたり、歓喜随喜して出家受戒すべきものなり。

明らかに知ることです、この四つの優れた事のある我々の南方世界は、 人の寿命が千年と言われる北方世界よりも、天上の神々の世界よりも優れているのです。今我々は過去世の善根力によって、仏法を学べる最も優れたこの世界に生まれることが出来ました。ですから、歓喜し随喜して出家受戒するべきなのです。

最勝の善身をいたづらにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。出家の生生をかさねば、積功累徳(シャックルイトク)ならん。

仏法を学ぶのに最も優れた人身を受けながら、それを無駄にして、朝露のような命を無常の風に任せてはいけません。出家の一生を重ねていけば、その功徳は積み重なっていくことでしょう。

世尊言く、「仏法の中に於いて、出家の果報は不可思議なり。仮令(タトイ)人有って七宝の塔を起(タ)て、高さ三十三天に至るも、所得の功徳、出家に如(シ)かず。何を以ての故に、七宝の塔は、貪悪(トンアク)の悪人 能(ヨ)く破壊(ハエ)するが故なり。

釈尊が言われるには、「仏法の中では、出家の果報は不可思議である。仮にある人が、金銀宝石などの七宝で、高さ三十三天に達する仏舎利の供養塔を建てたとしても、その功徳は出家の功徳に及ばないのである。なぜなら、七宝の塔は、欲の深い悪人が容易に破壊するからである。

出家の功徳は、壊毀(エキ)有ること無し。是の故に、若しは男女を教え、若しは奴婢(ヌヒ)を放ち、若しは人民を聴(ユル)し、若しは自己の身をも出家入道せしめば、功徳無量ならん。」

しかし、出家の功徳は決して損なわれることが無い。このために男女を教え、または召使いを自由にし、または人民を許し、または自分自身も出家入道すれば、その功徳は無量なのである。」と。

世尊あきらかに功徳の量をしろしめして、かくのごとく校量しまします。福増(フクゾウ)これをききて、一百二十歳の耄及(モウギュウ)なれども、しひて出家受戒し、少年の席末につらなりて修練し、大阿羅漢となれり。

ここで釈尊は、明らかに出家の功徳の大きさを御存じの上で、このように説いておられるのです。王舎城の長者であった福増は、この教えを聞いて、百二十歳の老人でしたが強いて出家受戒し、少年の末席に連なって修練し、大阿羅漢になりました。

出家功徳(6)へ戻る

出家功徳(8)へ進む

ホームへ