出家功徳(8)

しるべし、今生(コンジョウ)の人身は、四大五蘊(シダイ ゴウン)因縁和合して、かりになせり、八苦つねにあり。いはんや刹那刹那(セツナ セツナ)に生滅(ショウメツ)してさらにとどまらず。

知ることです。今生の人身は、四大(地水火風の四大元素)や五蘊(色受想行識の物質と精神作用)が因縁和合して、仮に姿を成しているものであり、八苦(生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦)が常にあります。ましてこの人身は刹那刹那に生滅して、決して止まることがありません。

いはんや一弾指のあいだに、六十五の刹那生滅すといへども、みづからくらきによりて、いまだしらざるなり。すべて一日夜があいだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊生滅すといへども、しらざるなり。

まして指をパチンと弾く間にも、六十五の刹那が生滅しているのですが、自ら自覚しないので、まだ知らないのです。また、およそ一昼夜の間には、六十四億九万九千九百八十の刹那があって、五蘊が生滅しているのですが、我々は知らないのです。

あはれむべし、われ生滅すといへども、みづからしらざること。この刹那生滅の量、ただ仏世尊(ブツセソン)ならびに舎利弗(シャリホツ)とのみしらせたまふ。余聖おほかれども、ひとりもしるところにあらざるなり。

悲しいことです。自分が生滅していながら、そのことを自ら知らないのですから。この刹那生滅の量は、ただ釈尊と舎利弗だけが知っておられます。ほかにも聖者は多数いますが、一人としてそれを知る者はいません。

この刹那生滅の道理によりて、衆生すなはち善悪の業をつくる。また刹那生滅の道理によりて、衆生発心得道す。かくのごとく生滅する人身なり、たとひをしむともとどまらじ。むかしより、をしんでとどまれる一人いまだなし。

この刹那生滅の道理によって、人々は善悪の業を作り、また刹那生滅の道理によって、人々は発心して仏道を悟るのです。このように生滅しているのが我々の人身であり、たとえ惜しんでもその生滅を止めることは出来ないのです。昔から命を惜しんで止まった人は、まだ一人もいません。

かくのごとくわれにあらざる人身なりといへども、めぐらして出家受戒するがごときは、三世の諸仏の所証なる阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラ サンミャク サンボダイ)、金剛不壊(コンゴウ フエ)の仏果を証するなり。たれの智人(チニン)か欣求(ゴング)せざらん。

このように、我が物でない人身であるとしても、その身心をめぐらして出家受戒すれば、過去 現在 未来の諸仏が証明した無上の悟り、金剛の如き堅固な仏の悟りを得ることが出来るのです。智者であれば、誰が喜び求めずにいられましょうか。

出家功徳(7)へ戻る

出家功徳(9)へ進む

ホームへ